18世紀
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人工心臓ペースメーカーの着想期は、18世紀に遡ります。この頃、動物の組織には電気刺激が影響していることが発見され、筋肉の収縮には電気エネルギーが関係していることが分かりました。
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19世紀
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19世紀に入り、フランス革命の時代、斬首された罪人の心臓に電気刺激を与える実験が行われました。電気刺激で心拍が再開することや、加える電気刺激の速度によって、脈拍数が変えられることが分かりました。
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1932年
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1932年に「Hyman電気刺激装置」なるものが開発されました。磁力を応用した手回し式のもので、とても大きく、重量も7.2kgもあるような装置でした。このとき初めて「人工ペースメーカー」という名称が使われました。
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1952年
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1952年、Zoll は、緊急時の心蘇生のために、胸壁に付着させた皮膚電極に、75~150V、2m秒幅のパルス刺激を与えると心拍を制御できることを報告しました。これを機に、心臓ペースメーカーの臨床的有用性が着目されるようになります。
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1957年
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この時代になると、心臓外科手術が行われるようになりましたが、手術に伴う完全房室ブロックという難問に遭遇するようになります。1957年、Wierich らは、心臓の表面胃電極を固定し、体外式の心臓ペースメーカーを用いて、心臓外科手術を行うようになります。
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1958年
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1958年、Furman と Robinson が心臓の内部に電極を埋め込む、心内膜電極という方法を用いて、ページングを行う方法を考案し、その後、広く用いられるようになりました。
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1958年10月
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1958年10月、Elquist と Senning は、世界で初めての、完全埋め込み式の心臓ペースメーカーを開発しました。このペースメーカーは体外から充電することができましたが、電池寿命は20分足らずでした。このペースメーカーのページング速度は完全一定式でした。つまり、たとえ自発心収縮があっても、速度を変更することはできませんでした。
これ以降、心臓ペースメーカーは、体内式の開発へとシフトしてゆき、次々と改良型が発表されるようになります。
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以降、現在まで
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初期のペースメーカーは、一定回数だけ電気刺激を与えるタイプでしたが、現在では、デマンド型と呼ばれる脈拍が少なくなったときにだけ刺激を発するタイプが主流となっています。
重量的にも、わずか20~60g、大きさも4cm X 5cm X 7mm ほどの軽量なものが標準となり、装着している人は、日常生活にはほとんど不便を感じなくなっています。
また、心房から心室へというページングの順序に正しく連動する方式の生理的ページングや、心拍応答型(レートレスポンス型)が普及しています。
心拍応答型とは、運動などに伴う身体の動き、心電図の波形、呼吸状態、体温などを自動的に検知して、脈拍数を調節するようなプログラムが組み込まれたペースメーカーで、極端に過激な運動などは駄目ですが、ちょっとした運動であれば自動的に心拍数が追随できるようになったシステムです。また、埋め込み電池の改良もあって、最近の電池は8年以上は使用できるようになっています。
尚、日本における、心臓ペースメーカーの装着人数ですが、H14年度の推計では、30~40万人となっています。毎年4万人以上が増加する勢いです。
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