江戸時代以降、庶民にも白米を食べられる時代になると、脚気などの病気が起こるようになりました。脚気の原因がビタミンB1などが不足する白米だと分かるまでには長い年月を要しましたが、昭和になってようやく解明されました。白米でも栄養分の豊富なおかずを同時に摂取すれば問題はないのですが、更にそれを補うために発芽米は役にたちます。
下表に、発芽米が認められるようになるまでの出来事などを示します。
時代
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年代
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出来事
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江戸時代
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庶民層にも精白米が急速に普及し、脚気が猛威をふるい、「江戸患い」と呼ばれた。
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明治時代
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日露戦争時の戦死者が8万人余だったのに対して、2万人強の病死者のうちで7割が脚気によるものであった。
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大正時代
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大正13年 |
東京帝大の島園順二郎医博は、脚気病の原因はビタミンB1の欠乏だとの説を唱え、芽つき米(後の胚芽米)を主食とするよう提唱した。
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昭和時代
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昭和2年 |
胚芽米に着目した米屋と設備屋が、東京帝大病院に精米機を持ち込み胚芽米の加工方法の研究を始めました。
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昭和3年 |
時の政府諮問機関が、胚芽残留の少ない食用米の販売を禁止するよう求める主食改善案を答申し、胚芽米普及の端緒となりました。
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昭和5年 |
横型研削式胚芽米搗精機が完成しました。
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昭和7年 |
脚気病の原因が食物の微量栄養素欠乏であると証明され、多年にわたる脚気論争に決着をみました。
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昭和52年 |
最新鋭の胚芽米精米機が開発されました。
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平成時代
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平成2年 |
胚芽精米にGABAが含まれていることが発見されました。
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平成9年 |
胚芽精米機の改良がされに進み、コシヒカリの胚芽精米に成功し、白米同様の美味しさをもつ胚芽精米が誕生しました。
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